バンカラさんが通る
本来の意味は、何か一つの事に集中し過ぎてもう身なりなんて考えてられませんわワタシ、正直この際ハッキリ言わせてもらいますけど日高屋のタンメンの事考えてたら一日が終わってしまってかなわんのですよ・・・ってな男の状態を指すらしいです。因みに対義語はハイカラ。ハイカラさんが通るのハイカラね。
現在ではそう言った本来の意味と言うよりも、「不器用で尚且つ激しい男らしさ」なんていうかなり野蛮な意味で使われる事が多いようです。
このバンカラですが、私の通う大学はバンカラってのが校風の一つとして挙げられてるんですよ。
何でもこの大学、昔はかなりの数の益荒男が生息していたらしく、腹がたてば人を殴り、意味もなく酒をあおり、興がのるとそこら辺の器物を破損せしめては国家権力から逃げ回っていたそうです。イヤハヤ恐ろしい。
まあ昔はどこの大学も男ばっかりですから仕方のない事かもしれませんけどね。
男ばかりが集まるとお茶会はどんちゃん騒ぎの飲み会になり、レジャー合宿は阿鼻叫喚の肝臓強化合宿へと無残に変わっていくものです。
こんな歴史を持つ大学ですから、現在もバンカラ志願者が後を絶たずに貴重な青春を棒に振っています。
かくいう私もこのバンカラに憧れて上京してきたクチで、大学一年生の時なんて俺はバンカラだ!っといきりたっては、みだりにご飯やラーメンを沢山食べ「くまそ、殉職ならぬ殉食!」っと叫ぶという非常に痛々しい日常を送っていました。
しかしご飯を沢山食べても腹痛に苦しむだけで、私はいつしかバンカラなんてどうでもいいけんね、クソして寝てれば俺の人生一向に構わんけんね、という無気力男へと変貌を遂げたのです。
なので次第にバンカラという単語は私の中で価値を失い、たまに酒に酔った奴がそこらの自転車を蹴り飛ばしているのを見ては「凄い!バンカラがいるぞ!」とか意味不明な使い方をしています。
この間なんて同じ大学の友人が全裸になって「こんにちわ、僕ってバンカラでしょ?」なんて言うもんだから、しかも自分も少し「確かに一理あるかもしれぬ」なんて訳の分からない事を思ってしまって、私や他の人のバンカラセンサーはかなりイカれてる事を確認せざるおえませんでした。
けれども最近私は見てしまったんですよ。真のバンカラを。
その日私は新宿へ行くためにある公園を横切って歩いていたんですね。
まだ紅葉というには早い木々は青々と美しく、池のほとりにはt…とかいう情景描写はすっ飛ばして書きますけど、とにかく木が生い茂った場所からいきなり視界が開けるような作りになってるんですよ、この公園っていうのは。
っでいきなり開けた視界に飛び込んできたのはボロボロの道着を着こんだ一人の20代くらいの男でした。
男はやせ細った腕で一心不乱にそれほど力強いとは思えない「突き」や「蹴り」を繰り返し繰り返しやっていて、私はその異様な光景を目にした時つぶやいてしまいました。
「バンカラだ…」っと。
夕方の公園には大学の武道系サークル集団が袴みたいなのを履いて怪しげな棒をフリフリしており、こっちはこっちで面白い光景だったのですけど、そこからちょっと離れた場所で男は一人手足を振り回しているのです。
怪しげな武道サークルが何やらまた意味不明な掛け声とともに更に棒を激しく振り回しだしました。
なんだか卑猥です。
男はそんな猥雑な光景には一切目もくれず、そのスポーツマンというにはあまりに爽やかさに欠け、武道家としてはあまりに弱弱しいその体でなおも手足を動かし玉のような汗をかいているのです。恐らく男は私と同じく大学生でしょう。すぐ近くに私の通う大学がありますし、ここはよく運動系サークルの練習で使われている場所です。
この男にだって青春を綺麗に送る権利はあります。武道をやりたいなら棒ブン回し集団のようなサークルに入って皆と仲良く練習して、練習後にはワイワイと男女入り乱れての飲み会をして、春や夏には合宿に行って…そんな生活をこの男にだって送れたはずなのです。
恋をしたり、友人と語らったりも出来たはずです。
けれどもきっとこの男はそれを「是」としなかったんでしょう。
男が選んだのは・・・公園で一人どこぞのきな臭い通信販売で買った道着を着こみ、試合に出る訳でもなんの為でもなく道着をボロボロにしながら全くの我流武道に精進する事だったのです。
「バンカラだ…」再度私はつぶやきました。
きっとバンカラってこう言う人を言うんですよ。もう恥ずかしいとかみっともないとかそんな事を考える余地もなく己の目的の為だけに生きる。うん、きっとそうです。彼こそがバンカラです。
この男はきっと何かをやってくれます。我々パンピーには想像も出来ない何かをやってくれます。
だって彼はバンカラなのだから…
けれど何故でしょうか、私は彼の将来が心配でならないのです。