多様性と専門性

携帯電話の普及とその進化というのは凄まじい。駅を通り過ぎる度に「もう無理だ!」「まだいける!」等の罵声と悲鳴と若干のすすり泣きを携え、人肉風呂と化した通勤電車なんぞに乗って悲鳴を上げる日々を毎朝送っていると分かるのだが、老若男女問わずスマホや携帯をこれでもかといじくりまわしている。仕事をしていても携帯電話は手放せない。特に外回りをしている時なども、会社支給ブラックベリーはうなりを上げる。メールのチェックには欠かせないし、客先の住所を調べナビさせたりエロス動画を息抜きに閲覧したりと大活躍である。

この携帯の普及に一役買っているのが「デバイスの多様性」だ。私の持つガラパゴス携帯と呼ばれる勇ましい老兵でさえ、アラーム、電卓、スケジュール管理と何でも出来る。しかもインターネットに繋がっているものだから、その多様な使い道はやりたい放題の始末に負えない殿様カエルである。スマホなんかはもっと凄く、様々なアプリが日々開発され、多様性は高性能のデバイスにソフトウェアの開発が加わって、日々機能が強化されていっている。近い将来人は会社に行かなくても、家でヌボっと起きてスマホをいじくり回し、含み笑いを5分かました後に再び布団にもぐって手取り15万也、などの会社生活を送るようになるのかもしれない。

一般的に多様化する事は「進化」だ。人間だって今は多様なスキルを持ち合わせた人材が重宝される時代だ。私が従事している営業職なんていうのは、基本的に昔は根性と精神力と性欲で何とかなったのかもしれないが、現代の営業職には、パソコンスキル、語学、話術など、様々なモノが求められる。これは一概に、多様性が進んだ、すなわち進化した社会に、会社が適用しようとしようとした結果だと思われる。

然しながら、多様性ばかりが進化ではない。専門性もまた、進化の結果なのだ。

それを感じたのが、最近行ったドラックストアだ。最近私のウナギのお遊戯場所みたいに狭い部屋が、期せずしてとんでもない臭気を発している。それはもう、ゾウでも飼ってんじゃねえかと自分で疑いたくなるくらいの獣臭で満ち満ちている。そしてスーツなんぞにその匂いが移るもんだから、社内の事務職の娘っ子に「くまそさんは昨日家に帰らなかったの?」などと、遠まわしに「おまえ、くさい、ヒ素、飲め」みたいな事を言われてしまった。っでもって件のドラックストアに足を運んだ訳なのだけど、ドラックストアというのは凄まじい。あれは単にコンドームを買って遊んでいる場所じゃない。まさに専門性のデパートだ。

その日私の買い求めようとしたのは、部屋を綺麗にする洗剤と、部屋の匂いを誤魔化す芳香剤だった。財布には5千円入れていたのだが、千円以下で全てが揃うだろうとタカをくくっていた。しかしそれがそもそもの間違いだった。まず洗剤だけど、これは凄い。トイレ用、トイレの排水溝用、台所用、台所の排水溝用、風呂用、風呂の排水溝用、カーペット用、畳用、フローリング用と、事細かに用途が分けられ、全ての洗剤を有していない私は、一体自分がどれを買えばいいのか全く分からなかった。まあ「バス風呂台所をピカピカに出来て、おまけに歯も磨ける洗剤が欲しい」などという甘ったれた考えを持ってドラックストアに突っ込んだ事がそもそもの間違いなのだが、それにしてもあまりに様々な分野の掃除に特化した洗剤があり過ぎ、何を買ったら正解なのかが全く分からなかった。しかも芳香剤も隅に置けない。トイレ用、玄関用、台所用、リビング用と、これまたジャンルに応じて芳香剤が発売されており、更に「森林の香り」などと衝撃的な、全く予想がつかない香りを売りにしている芳香剤が各ジャンル1つはあるので、完全に思考がフリーズしてしまった。結局思いつくままに買い物を重ねた結果、4000円くらいを使ってしまったのだ。自分の部屋を綺麗にするために、私は何杯の牛分の金を使ってしまったのだろう。考えるのが恐ろしい。

恐らく明治時代の日本など、何かを綺麗にする!っと言ったら水で洗い流すくらいしか選択肢がなかった訳で、初めて発売された洗剤も、石鹸みたいなものだったと思われる。それが今や様々な用途に特化した、専門性を突き詰めた洗剤がドラックストアにところ狭しと並べられているのだ。そしてこれもまた進化なのだ。

要するに進化というのは、専門性と多様性、このどちらかを突き詰める事にあるのだ。これは人間にも当てはまる事で、自分を高めようとするならば、何かに特化するか、色々齧りまくってみるかしかないのだと思う。

そんな事を考えながら、社会人二年目で二社目を迎え、来年も会社が変わる事が確実視され履歴書だけが傷だらけに退化している私は、汎用性が最も高い調味料であるポン酢を、多様な食材にぶっかけながら、金麦を専門に、夜の晩酌を謳歌しております。