Boys be angry

「今から俺が見てる前でキレろ!お前は甘すぎるんだ!」

震える手で電話を持つ私の真正面に先輩は立ち、こう叫んだ。上司からの叱責、終わりの見えない残業の日々、近所の定食屋の血も涙もないから揚げ定食50円値上げ等による過度のストレスで、先輩の目は赤く充血していた。アルコールが切れたのか加藤イーグル大兄の真似をしているのか定かではないが、あまつさえ先輩の手はブルブルと左右に震えている。どういう訳か微妙に足まで震えている。充血した目に震える四股。その様相はまさに手負いの熊だ。腹を空かせ、傷だらけの体で、己に向けられた猟銃に精神を研ぎ澄ませている手負いの熊だ。

そんな先輩を虚ろな目で見る私の脳裏に、走馬灯のように入社当時の、あの楽しかった研修期間が走り抜ける。

「当社は人を第一に考えている会社です。人材こそわが社の財産です!」脳みそに電気を流す特殊な種類の宗教でもやってんじゃねえかと疑いたくなるくらい見開かれた目をした人事は、確かにこう言ったのだ。希望に目を輝かせ、日本経済を背負ってたつのだと燃えていた同期はその言葉に歓喜した。名刺の渡し方、社外の人への最低限のマナー。簿記研修に英文メール研修。会社は我々にジャブジャブと教育を施した。中々どうして、「僕はチキンカツ以外は結構どうでもいいから、基本、チキンカツが食えていれば目下のところ幸せです」などと、親不孝の極みのような事を考えていた私のようなものでもチキンと、いやキチンと研修を受けさせてくれたのだ。さも、太陽は東から昇るんですよ!っと言うのと変わらないテンションで「布団に入ってたら留年してたんですよ!」などと面接で喋り、面接にヌケヌケと遅刻したり筆記試験を白紙で出したりと、この会社に入るために辛く厳しい試練の就職活動をくぐりぬけた成果とはいえ、イイ会社に入ったじゃない!っと私自身も当時は喜んでいた。

しかし2週間の研修が終わるや否や、私の会社への感じ方は一変した。今でも配属当時の事を鮮明に思いだせる。

何が面白いのか、何人もの太ったオッサンどもがギャハギャハと狂ったように笑いながら電話で客と喋り、電話を切った後は目を吊り上げ、唸り声をあげながらパソコンのキーボードをひっぱたく。延々とそれを繰り返しているオッサンどもの中に放り込まれ、意味の分からない書類を次々と渡される。新人は電話を取るのが仕事だからというものだから、恐る恐る電話を取って、先輩社員に取り次ぐと「声が小せえんだよ!他の部署からクレームが来るぐらいウルサイ声で電話せんかい!」っと、それまで一体どういう会話を客としていたのか知らないが「筋肉マンじゃあるまいし!」っと、訳の分からない事を客と喋っていた上司に、私の遥か彼方の席から怒鳴られる。社内の先輩からの電話を取っても悲惨な末路。「お前誰だよ!ってか声が小せえんだよ!」っと、アロマ企画っていうイカれたAV会社が作った、女をひたすらビンタするっていうAVを笑いながら見そうな声をした、ヤクザな中堅社員に罵声を浴びさせられる日々。その後電話で質問をするだけで意味不明なシャウトをしていたその中堅社員が、大学を出ている事を知って私は心底安堵した程だ。それくらいその中堅社員は狂っていた。

そんな日々を一カ月くらい続けると、今度は意味の分からない量の電話をかけさせられ、これまたブチ切れながら片言の日本語を喋る韓国人と中国人に、意味も分からず「すみませんでした!」っと謝罪を繰り返す。

そんな、一体何がどうなっているのか分からない日々の一コマが、冒頭の場面である。

確かに私が電話をかけようとしている、零細企業の社長のミスにより、私の会社は行き詰っていた。ひっきりなしにそのミスを責める電話が私の所にかかってきて、私じゃ飽き足らず、手負いの熊と化した先輩の所にまで、クレーム電話の魔の手は差しかかっていたのだ。しかしながら、電話口で私がミスをやってのけた零細企業の社長にブチ切れたところで、問題は解決するのかは甚だ疑問だ。双方で妥協点を見出し、解決策をひねり出し、クレームを入れてくる奴らに策を提示するのが、最善の策であると、その時の私は考えていたのだ。

けれど状況はそんな事を言ってられる状況ではない。何せ、目の前には手負いの熊がいて、私はすぐさま電話をかけなければならないのだ。妥協点を〜何かやっていたら、私の身がどうなるのか、考えただけでも恐ろしい。

キレる。俺はキレるのだ。私より2周りくらい年上のこの国籍も分からない片言オヤジにキレるのだ。私は先輩同様、熊を襲う蛮勇民族、熊襲の血を引く私は、手負いの熊と化した。

結果として、電話口での私のシャウトは功を奏した。信じられれないかもしれないが、少なくとも私の会社が抱えていた問題は何とかなってしまった。零細企業の社長が一体どんな手を使ったのか定かではないし、零細企業の社長はその後電話をかける度に「今愛人といるので電話しないでもらえませんか」と気力のない声で呟くようになってしまったが、取りあえず問題は解決してしまったのだ。

「キレる」「怒る」というのは、人が成長する過程で抑圧され、精神の奥の方に追い込まれてしまう感情である。やはりどんな人でもお互いに笑いながら行動を共にしたいし、出来るならば問題ごとは皆ごめんだ。しかし、感情というのは、情報、自らの発言に、様々な価値を付する調味料的な役割を担う事もまた事実である。企業というのはそれぞれが明確な「何をしたい」という指針を持ち合わせ、社員は会社と同じようなマインドを持って仕事に当たる。この「何をしたい」を企業同士がマッチさせた時に初めて双方に利益が発生し、会社というのはそれぞれが成り立っている。そして法人営業というのはその調整役に立つ事が圧倒的に多く、だからこそ、生産者と消費者の間に、無数の企業が存在しえる。ただ、往々にして企業同士の「何をしたい」は複雑に交差し、どちらかが折れ、どちらかの意見が通る、などという事態が発生する。この時に最も重要なのが「感情」という調味料だ。確かに会社同士の上下関係みたいなのは存在するが、所詮は連絡を取り合っているのは会社の末端社員。少々の出来ごとならば上は動かず、担当者同士でケリを付けてしまう。よってその担当者同士が双方の言い分を如何にして通すのかが非常に重要で、だからこそ時に激怒し、時に哀願し、それぞれの会社の「何をしたい」を何とか通そうと必死になる。淡々と「〜にしてくれないですかねえ」などと言っても、中々聞いてもらえない。1回の電話より100回の電話、1回の面談より100回の面談で、会社が自らに課した「何をしたい」を感情たっぷりに話す中で、物事は進んでいく。機械でなく、人と人とが物事を決定する現代の社会では、このプロセスは中々無くならないだろう。

そんなこんなんで、チキンカツ至上主義の私のような甘ちゃんな私も「キレる」事の重要性を認識し、色んな電話で意味もなく怒ったりしているのですが、最近私の回した書類が親会社で一カ月放置され、それに気付かない私もどうかと思うだが、そんな事はお構いなしに親会社に怒りのお電話。「おたく給料もらって何してるの?」と皮肉たっぷりに言った所、どうもそれが結構偉い人だったらしく、電話の二日後に「君がくまそ君か〜元気が良くていいねえ〜」と、怒気に満ちた顔でまさかの私が勤める子会社に乗り込んできやがりました。

近い将来クビになるかも知れません。