くまそさんの留学雑記①

・プロローグ

留学はいいのだ、っという話をよく聞く。

何でも留学すると、英語が喋れるようになるだけではなく、脳も体も精神も、そして心持ち態度までもがビッグになって帰ってくるらしい。

確かに留学経験者を見るとそれは分からないでもない。彼らは英語を完璧に喋れるようになって帰ってくるし、見識も深くなって帰ってくるように思える。しかも女性の場合は、「どうしてこんな豚に!」っと思えるような容姿をした女にも、しっかりと留学中は彼氏が出来ていたりする。そしてしっかり憎たらしいほどに態度のビッグなピッグになって逆輸入されてくる。酷い加工貿易もあったものだと心底感じる。態度のでかいブスほど始末に終えないものはないし、一緒に飲んでて不快なものはない。留学を受け入れる国々は、日本に何か恨みでもあるのであろうか?

まあその「豚女における海外でのスクラップ化、およびその逆輸入が与える魚民男女四人卓腐敗論」は別の機会に書くとして、とにかく留学はいいのだ!特に若いうちにするといいのだ!っということを私は昔から聞かされてきた。

そんなもんだから、大学入学前は必ず自分は留学するんだ!海外に行ってデッカイ男になるんだ!っという事を考えたりしたのである。その考えに両親は大きな首前後運動と賞賛を与え、何故か国民年金の代金振込みを約束したのだった。

しかしいざ大学に入ってみると酷い有様で、遊ぶわけでもなく、勉強するわけでもなく、ただ激しく一人肝臓をアルコールで研磨しながら口をパクパクあけるという、生産性のない日々を過ごしてしまった。貴重な国民年金としてもらった費用は、将来の年金ではなく、その日の金麦に変わった。またそんな日々を過ごしたせいか「芦田愛菜ちゃんをみると股間が腫れます」などとノタマウようになり、日本語すら危うい状態になってしまった。っというか主として脳みそが危なくなってしまった。

そんな大学生活を過ごし、私は今年の9月にとうとう大学を卒業することになった。身に付けたものなど何もない。学んだものなど何もない。せいぜい洗濯機の動かし方を身に付け、炊飯器の偉大さを学んだだけだ。

9月からぽっかり明いた4月までの期間。どういうわけか、内定を頂き、4月からはきちんとしたサラリーマンになることが決まっている。この期間をどう活かそうか…それを考えたとき、私の頭に甘美な単語が踊った。「語学留学」その時の私を誰が責められよう。


・何処に留学するのであるか!


留学に行くことは決めたものの、正直な話、留学というものがどのようなものか私はよく理解していなかった。留学に行こうかな!っと勇んだのが五月の下旬で、果たしてその四ヶ月後に留学にいけるのかも定かではなかった。

とりあえず困ったことはインターネッツっとばかりに自慢のひかり回線をぶん回し、様々な留学支援を行っている企業のHPを見て回った。そして資料を片っ端から請求していった。

それらの情報収集から分かったことは、留学というものが果てしなくバカ高いものであるということだ。一ヶ月の留学にかかる額、たとえばアメリカやイギリスなんかだと、一ヶ月、毎日三食といわず六食どれくらい気合を入れて餃子の王将で飲んで食っても、絶対に使い切れない額をやつ等は平気で請求してくるのだ。牛角ならば、個人の力量とあくなき肉への探究心さえあれば何とか一ヶ月の牛角軟禁で使いきれる額かも知れないが、それを達成したとき、そいつは人として使い物にならなくなっているだろう。

話はかなりそれたが、とにかく留学というのは高いのだということを私は知り始めていた。そして情報収集の中でもし格安の予算で留学に行きたいのなら「フィジー共和国」しかないのだ!っという事も少しづつ分かりかけてきた。グーグル検索で「留学 格安」と打ち込むと、待ってましたとばかりに、この何処にあるのか分からないこの国は検索上位に躍り出てくるのだ。

まあ別に私は本場アメリカに行って英語を習いたいかと言われればそんなこともなく、英語が公用語なら何処の国でもかまわないと思っていた。またアメリカ人はビックマックを串に5個刺して満面の笑みで食うんだろ?っという偏見とでっち上げに満ちた目でアメリカ人を見ていたため、全く未知の国である「フィジー」は私の中で結構新鮮な響きとともに、すんなり耳に入っていった。

そんな訳で、私はフィジーに留学することになった。




っというわけで、次の更新からはフィジーでの生活を綴っていこうと思います。ネットカフェからの更新のため、文量が少なく、またいつまで続くか、何を書くかは決まってませんが、お暇ならお付き合い下さい。

ではでは!