ラブリーが街にやってきた

「禁煙したの?」っと母親に電話で聞かれ、煙草を吸いながら「もう半年は吸ってないなあ」っとノタマウ活動に精を出しているくまそです、コンニチワ!私はお母さんも好きですが煙草も好きです。そして一兎を追うもの、二兎を得ずってのはガッツが足りないからだと考えているお茶目さんです。だから煙を吸うのです、更に煙と優しい嘘を吐くのです。

さて、そんな不届き者が住んでいる場所は学生街でして、卵巣が歩いてると言っても過言ではないお色気女学生や、「レイプ大好き!」って突然叫びだしそうなイカツイお兄さんが縦横無尽に蠢き周り、夜になるとTPOを一切無視しゲロ吐いて民家の植木鉢にブッ刺さっていたりします。そんな野蛮な街ですが、この時期になると非常にポップでラブリーな雰囲気に包まれるんですよ。

ほら、七夕が迫ってるじゃないですか。っでもってここらには小学校があって、この時期になるとその小学校に在籍するオチビちゃん達が短冊をそこらじゅうにブッこんでくるんですよ。

これがまた何とも可愛らしい。

「じがもっとうまくなれますように たけし」と、オタマジャクシみたいな字で書いてる短冊に頬を緩ませていると「ペキン語が話せるようになれますように れいら」なんていうトンデモナイ物まであって、見ていてホントに飽きない。

この短冊を皆さんにもお見せしたいくらいなんですけど、私みたいな、ちょっと触りたくないなって言うか、匂いとかキツそうだなって言うか、ぶっちゃけ隙あらば「トイレその後に」とか振りかけたいなっていう感じの益荒男が、ケータイ片手に短冊の写真を撮り「フヒヒ」なんて笑うってのはいかがなものかと思いまして、申し訳ないですけど画像のアップはございません。

しかし七夕って言うのはいいモノです。クリスマスとかだと貰えるって分かっていながら願いを書くわけですから、ちょっと打算的な感じがしますし、神社の絵馬に書くヤツなんてのもどうもきな臭い。金もかかりますしね。

それに比べて七夕は素晴らしい。織姫と彦星に願いを込めて短冊を書く。これは「叶えて欲しいもの」って言うよりも、どっちかと言うと「誓い」に近いモノがあると思います。織姫と彦星に「自分はこう言う事をしたいんだ!」って言う誓いを行い、それを頭に据え以降の生活を送る。これが七夕の本質です。何とも素晴らしいじゃあないですか。

しかも七夕ってのは小さい頃だけのイベントのような気がするんですね。だって20を過ぎて短冊書いてるって奴はほとんどいないでしょう?ですから多くの短冊はフレッシュな誓いで溢れている。だってもし私が今短冊を書こうものなら「金と名誉と、ちょっぴりエッチな彼女が欲しいです くまそ」とか「大嫌いな○○さんが近日中に尿結石でもがき苦しみますように くまそ」とか血眼になって書きますからね。こんな誓いは七夕に存在しない。純粋な誓いが七夕には溢れているんですよ。そこがまた素晴らしい。言うならば「子供の目標大発表会」、それが七夕というイベントです。

っとまあこんな風な事を考えながら短冊をペラペラめくっていったんですが、ふとその時、自分も小学生くらいの頃に七夕以外で同じような事を書いたなあって思ったんですね。っで何だったかとメモリ3バイトの脳みそをかき回して、ようやく見つけたんですよ。

それは小学校の頃に書いた「卒業文集」です。

これは今もですけど、当時から私は動物が大好きでした。もう犬とか大好き過ぎて、犬を見かけたら速攻でタックルをかまし、その後愛撫を通り越して食うんじゃないだろうか?って周りから心配されるくらい動物が好きだったんですよ。けれどこれは余談ですが、そんだけ動物が好きにも関わらず動物の方は私の事があまり好きでないらしく、実家の犬なんかは私がモノを食べている時以外目も合わせてくれません。まあこれは私がティッシュをヨジり、犬の鼻に突っ込んでくしゃみをさせる遊びを執拗に繰り返した事が原因なので納得はしています。

そんなこんなで動物が大好きだった私の将来の夢は、当然の如く「獣医さん」でした。

そんでもって私は小学校の卒業文集に「僕は獣医さんになりたいです。だからこの文集を持ってきたら3割引きにしてあげます」みたいな事を書いたんですよ。

そしたらですねえ、これを見た両親と祖父祖母が大興奮しましてね。爺さんなんて酒を飲むと、呂律の回らない声で「よし!あの土地を今から買い占めよう。あそこで開業しろ!」とか言い出すし、両親に至っては「普通の獣医じゃ先が怪しいから、大型動物専門の獣医さんになりなさい」とか言う始末。

ですから私もその気になっちゃって「ようし、大型動物の獣医さんになって、牛のケツに手を突っ込んで片っぱしから便秘を治すぜ!畜産界の加藤鷹になるぜ!」とか本気で思ってたんですよ。

しかし蓋を開けてみれば今の私がいる訳じゃないですか。牛のケツに手を突っ込むどころか「ネギをケツに突っ込んだら風邪の予防になる」とか「地デジチューナーをケツに突っ込んでない奴はアナログ人間」とか訳のわからない事しか言わない私がいるじゃないですか。

これを思い出してですね、私はショックを受けたんですよ。短冊に書かれた、ラブリーな誓いを眺めながら。


小さな頃の夢や目標と言うのは残酷なものでもあります。だって可能性が無限ですから、当たり前ですけど夢に現実味が全くない訳なんですよ。そして、これは小さい頃に限った話ではありませんが、現実味のない夢や目標に対して執着しすぎるってのは大抵の場合健全な結果をもたらしません。歌手になりたい!っという夢を追いかける事はいい事かも知れませんが、リスクが大きいですし、歌手になる事しか考えてこなかった人間が現実として歌手になれず、それでも諦めがつかなかったら…本人がそれでいいのならいいのでしょうけど、客観的に見たらちょっと想像したくない未来です。

ちなみに私は中学校三年生で「相似な図形」が理解出来ずに理系の、獣医の道を断念し、その後獣医の道も諦めてしまいました。随分と諦めのいい子供だったと、我ながら感心し、そして深い吐息をついてしまいます。

しかし夢や目標に対して努力しなければ成長が無いという事もまた事実。それに小さな目標から叶えていく事が、大きな目標を叶える最短・最速の方法でもあるでしょう。ですから、字が上手くなりたい「たけし君」には是非とも頑張ってもらいたいものです。ペキン語の「れいらちゃん」も今からなら十分に話せるようになるし、ここいらはアジア系の人が多いので環境的にもバッチリでしょう。もしかしたら将来「たけし君」は器用なペン先でカルテを作りつつ牛のケツに手を突っ込んでいるかもしれませんし、「れいらちゃん」はペキン語で牛を罵倒しつつ、牛のケツに手を突っ込んでいるかもしれません。まあ獣医になりたいなんて一言も書いていませんでしたけど。

とにかくガンバレ、少年少女達!お兄さんも、卒業文集でもう一つ書いた夢、「ママチャリならぬパパチャリを作りたいです」の夢を叶えんと、ケツに火を付け頑張ります!


やっぱ嘘です、ごめんなさい。