占いラビリンス

朝のニュースなんかで天気予報の後らへんに「ポリバケツ幸子の星座占い〜まずカニ座のあなた!今日は嫌いな誰かに鉄パイプで殴られそうな一日。多分死ぬのでお昼ご飯は大好きなものを食べよう!ラッキーアイテムは戒名!ラッキーカラーは赤です!」なんて具合に占いをやることが多いじゃないですか。

まあ上の例だとどうしようもないんで昼ごはん何食べるかの心配だけしてりゃいいんですけど、中には「キャー!!!!ラッキーアイテムは10年選手の入れ歯だって!お婆ちゃん、ごめん、ちょっと借りるね!」なんてトンデモない事を言って、嫌がる祖母の口からスポンと入れ歯をちょっと拝借。フガフガとぶち切れる祖母を無視し今日も元気に学校へってな朝の一幕は、どこの家庭でも日常的に行われている事ではないでしょうか。

これら占いの信憑性はさておき朝から気分よく、もしかしたらいい事が起きるかもっと期待して外出するというのは凄く有意義な事なんで占いってのは個人的にいいもんだなと思います。

現代では占いはこんな風に生活とライトな関係を築いている訳ではありますが、平安時代奈良時代の貴族なんかはかなり占いに狂ってたそうです。

まあ皆さんご存じでしょうけど、陰陽師っているでしょう。

映画や小説なんかではオドロオドロシイもののけさんと闘う地獄先生ぬ〜べみたいな扱いをされていますが、あれって基本的には占い師なんですよ。

平安や奈良の貴族なんてサムライが出てくるまでは基本的に暇をブっこいてたわけで、そうなってくると人間考える事はいつの世も同じ。恋愛に狂い、日々の退屈な日常からくるベクトルの定まらない不安事項ばかりを抱え日がな一日考えて過ごす訳です。

だから貴族達は「いやあ、琴ちゃんカワイイなあ。何とかモノにしたいなあ。そう言えば昨日夢で猫が出てきて、あんたナメタケ食べる?私なんか最近こればっかり食べてるから便所に行く必要性を一切感じないんだけど、なんて言ってたけどあれって何だろう?不安だなあ、不安だなあ」ってな感じの事をひねもす考えてクソして寝る訳ですよ。

そんな時に陰陽師のお兄さんがトコトコやってきて「五行説に基づいて考えるに猫は秘め事、ナメタケは緊張を表しますから、ネコナメタケの夢を考察するに、あなたは松屋で紅ショウガを食べすぎです。要するに今日の14時に国道25号線で風呂に入って下さい、じゃないと鉄パイプで顔面を殴打されます」ってな事を言って去っていくんですね。

すると先の貴族はハイハイ、いつもありがとうねえ。紅ショウガはやめて今度はフレンチドレッシングを牛丼にかけるよう心がけるよ!なんていいながら国道25号線で風呂に入る事になる訳です。

驚くべき事実ですが、こんなことを死ぬまでずっとやってたんですよ。まあ科学が全く進歩してない時代なので仕方のない事ではあるのですけど。雷が何かすら分からないんですからねえ。

つまり話を戻しますが陰陽師は良き日良き場所でアレやった方がいいっすよ、そうすると幸せになりますよ、なんて事をひたすら貴族達に助言していた訳ですね。

この占いですけど現在で言うところの宗教に少し近いものがあるのではないかと思うんですよ。

別に大学で勉強した訳でもないので宗教についてとやかく言う知識はありませんが、基本的には宗教も「幸せになる」って事が大前提な訳です。んでもって「幸せ」ってのは中々定義付けが難しいモノでありますし、それを得る手段なんて更に分かんないもんでしょ?

っでもってほとんどの人間って幸せになりたいじゃないですか。でも自分で幸せになる手段を開拓出来ない人が圧倒的に多い訳です。

そう、人は皆幸せ迷子の子猫ちゃんなんですよ。


ですから「大日本カマボコ教」みたいなキナ臭い宗教があらわれて、教祖たるカマボコ大明神が「毎日南南東に向かってチクワを食べ、日本憲法序文を暗誦すれば幸せになれます。おんぶして抱っこしてまた明日!」なんて言ってればスケトウダラに心を奪われた、心やさしき信者が南南東を向いてチクワを頬張る、なんていう異常な光景が出来上がる訳です。

そんな奴にいくら「どうしてカマボコ教なのにチクワを食べるんだ!」「カマボコの下の板には一切の合理性を感じない」「スケトウダラって30匹食べると緑色のウンコが出るらしいよ」なんて後半は嘘丸出しな事を言っても全く効果がありません。信者さんは白目でチクワ咥えながら憲法暗唱するだけです。


これと全く同じで、人の幸せになる方法ってのも文句のつけようがないんですよ。だからギャンブルにしても女遊びにしても、他人がそれを辞めさせようと合理的に説得しようと試みても、本人がギャンブルで、または女遊びで幸せを感じる以上全くその説得の意味がない。

要するに自分の幸せが害を被らない限り、他人にとやかく言っても無駄って事ですね。事幸せに関しては。


そんな理論でもって「就職活動やらテスト勉強やらがあるのは分かる。でも俺は今、そしてこのタイミングで酒を飲まなければ幸せにはなれないんだ!仕方ないんだ!」っと四畳半の家で叫んでいるのですが、20代後半で少し垂れ目な女性が止めてくれれば黙って勉強しそうな気がします。


誰かくまその幸せ、変えてみませんか?