過去記事の再現「私がパンツを履かない理由」

※以前アメブロで書いた内容と酷似しています。


「パンツを履いたサル」という本がある。1981年光文社からでた本だ。人間とはいかなる生物かを「パンツ」という奇抜なキーワードで熱く深く語った本として、その社会に対する観点の斬新さから当時は一世を風靡し大学生は狂ったようにこの本を読んでいたという。


「パンツを履かない大学生」という人がいる。1987年大分県に生まれた人間だ。「人間とは何故パンツを履くのか」、この疑問をつきつめた結果「パンツは甘え」という斬新な結論に達し、その自堕落極まりない生き方は善良なる実家の両親の枕を夜な夜な濡らす事となった。現在求職中であるという。


言うまでもない。それは私の事だ!


っとまあ「パンツを履かないのは私の事だ!」っと言われても「そうか、人に迷惑かけないで生きろよ」って感じでしょうけど、とにかく言いた事としては「パンツを履くヤツはなってない!」っていう事なんですよ。

大体ですねえ、パンツなんて履かなくていいんですよ。だってパンツ履く理由って何かありますか?

以前友人に「お前はどうしてパンツを履くんだ!」っという非常にアカデミックな質問をしたところ「うんと、えっと、だってズボンが汚れるじゃん」という大変おつむの弱い解答をされましたがそれは理由にならない。

あのですねえ、その理論でいったらせめてひざ下くらいまではパンツが伸びてないと話にならないじゃないですか。内ももとか普通にズボンに当たるでしょ?なに?お前のナニはそんなに汚いの?って話になるじゃないですか。パンツ履く前に風呂入った方がいいよって話になるじゃないですか。

とにかくですねえ、皆パンツを履く明確な理由なんて持ってないんですよ。惰性でパンツ履いてるんですよ。「皆が履くから俺も履こうかな」程度の理由しか持ってないんですよ、きっと。

だからパンツ履いてるロックンローラは全てニワカだと思ってまず間違いない。世の中の不平不満をぶっ放すロックがパンツを許容していいはずがないのです。きっと我らが永ちゃんはパンツ履いてないはずだ!

とにかくですね、ホントの自立した男ってのはパンツなんて履かないんですよ。ノーパンです。履くとしても、寒くなったからセーター一枚着ろうかな、っくらいのテンションで履くか履かないかって感じでいいのです。パンツは温度調節の道具でしかない!

この真理に気付いたのは私が大学生になってからです。そして今現在もノーパンでベチベチとウンコみたいな文章をパソコンに叩き込んでいるんですが、時に私はどうしてこの素晴らしい真理に気付いてしまったのかを考えてみたんですよ。


そりゃ私が聡明で知的で高血圧で年金払ってないってのもありますが、一つある私の根源的なルーツに由来するものではないのかっと賢い私は気付いたのです。パンツ履いてない賢い私が。

私は大分県出身、所謂九州男児です。そして九州には「男は嫁にパンツを履かせてもらうモノだ」っという、ひたすらに男前で、ひたすらにバカらしい風習があるんですよ。

つまりですね、私の言いたい事として「私はもう妻をめとるに値する九州男児になったのではないか!」っという事なんですよ。そしてだからこそパンツを自ら履く事に疑問を覚え、「パンツを捨て街に出よう状態」になったのではないか!っというスルドイ考察がここにある訳です。


そんな事を考えながら、太り過ぎで着れなくなったスーツを作りなおそうと本日ノーパンのまま紳士服の青山に行ったのですが、スーツって試着があるでしょう?っでもちろんズボンも試着する訳ね。っで試着したスーツもちっちゃすぎて、合計3本くらい試着しちゃった訳です。ノーパンのままね。しかもそれ全部買いませんでした。


青山さん、本当にごめんなさい。やっぱりパンツ履きます。