くまそのM-1体験記
2010年9月3日。男たちは渋谷駅に降り立った。酒を飲むためでもラーメンを食べるためでも渋谷の黒人に喧嘩を売るためでもない。漫才をするためだ。
一人の三浪ヅラをした男が言う。
「バックレようぜ・・・」
2010年7月。留年が決まり暇を持て余していた三浪の友人と一浪の私は自らの可能性を模索していた。
若さだけはあった。体力だけはあった。足りないのは脳みそだけだった。
だから可能性模索のためにはなんだってやった。
料理の才能があるのかも!っと息まいては炊飯器にホットケーキの粉をぶち込み、大食いの才能があるのではと一時間を置かずラーメン二郎を連食したりしていた。
けれども炊飯器は壊れ、血圧は上がっていった。
失意のドン底に叩き落とされた私たちはひたすらブラックニッカを飲むことで現実を忘れようとした。
どちらからともなく「ニッカでヒックしようぜ」などという趣深いメールを送り合い、大学周辺に集まってはブラックニッカを飲み「俺のキャンタマちゃんは結構凄い」などの世迷い事を繰り返し繰り返し言い続けた。
恋愛・将来設計・明るく健やかな生活等々を諦め、男達は酒を飲み続けた。ヒックヒックと夜は汚らしいしゃっくりを繰り返し、朝は便所に顔をうずめながら世を恨んだりした。
男達には夢がなかった。人生のテーマがなかった。何より絶対的に単位が足りなかった。
そんな折突然Mー1の話がお題に上がった。
当時私はとある事でヤケクソになっており、もういいぜ!なんでもやってやるぜ!なんでもかかってこいぜ!の七生報国マンであった。だからM-1でもK-1でもなんでもやったるぜ!なんならS-1の汁男優だってやってやるぜ!ってな具合でM-1の申込書をポストにぶち込んだ。コンビ名は「炭水化物」。我々が最も愛す栄養素であった。
しかし時は過ぎあまり深い事を考えずに過ごしていくうちに、まあ人生の大体の事はどうでもいいぜ!の無気力マンになっていき、バイト先の教え子に「先生の通う大学の方が一橋大学より頭がいいんだよ」などと真っ赤な大嘘を言うまで心のゆとりが出てきた。M-1の事も忘れ私はまたいつもの怠惰で妙に落ち着いた生活を送りだした。
けれども当たり前だが手続きは進んでいき、気が付いたらM-1まであと一週間ない状態になってしまった。
男達は焦った。このままではイケナイ…これでは恥をかきに行くだけではないか、どうしよう。不安と恐怖で一日の睡眠時間は10時間を切った。精神は極限の状態であったと言えよう。
ネタを作らなければ!、男達は連日二人で会い笑いとは何か、漫才とは何かについての激論を交わした。
結果はブラックニッカの空き瓶が増え、キャンタマちゃんについての考察が深まるだけであった。
漫才前日。我々はほとんど何もしていないままこの日を迎え、そのまま当日を迎えた。漫才に費やした時間は正味2時間弱。漫才コンビ「炭水化物」は完成をみた。
渋谷駅は混んでいた。そして何より日差しが強かった。
スーツを着込んだ私だったが、当日の朝スーツ用の靴が盗まれている!っという大事件に気付き、足元は何とも言えないくたびれた黒靴だった。
「バックレようぜ・・・」三浪が再度つぶやく。
私は憮然とした顔で会場である渋谷電力会館へと歩を進め、強引にエントリーを済ました。
漫才開始まで時間があったので近くのドトールに入る。思えば二人でくるのは上野のイカガワシイ寿司やであったり、男汁で煮しめたようなサークル部室や私の家でしかなく、私に至っては男と二人で喫茶店に入るのは初めてであった。
イタズラに煙草ばかりをふかす私と、携帯だけをジッと眺める三浪。重い空気が流れた。しかしこの空気に耐えられなかったのか、三浪がたどたどしく喋り出す。
「俺のキャンタマちゃんがさあ・・・」
気付いた時には舞台の上だった。そして私たちは案の定盛大に滑った。
漫才が終わり無言のまま渋谷駅に歩を進める私たち。
キャンタマは、ちじこまったままであった。