弁当のお話

本日混み合った高田馬場駅のホームにて持参の弁当を二つ貪るように食べているお兄さんを見つけてしまったんですね。


何だかその光景があまりにも自分の中で素晴らしく、何故だかわかりませんが暫く感動にうちふるえていました。

しかし今思うと、当然のことながら最近手作り弁当なるものを食べる事がなくなりましたねえ。


弁当のメッカと言えば高校時代。


高校時代親が忙しくてつくってもらえない家庭や、片親の家庭なんかの人たちを除いて大体の人が元気に弁当を持ってきてせわしなく食べていたんですよ。


しかし弁当と言っても色々あって、その家の母親の弁当に対する姿勢やイデオロギー、そして何より技術によって彼らの弁当はバリエーションに富み、そして確かな個性でもって他の弁当に鋭く迫っていっていました。


背中にオーガを宿らせた、もはやマッチョという言葉では生ぬるい体をした柔道国体選手の日野君のお母さんは、とりあえずアゲモノをぶち込むという事に人生の主眼を置いているような人でして、彼の弁当は常に茶色かった。そして驚くべき事に大抵腐っていたんですよ。


アゲモノが腐るというのは相当なもので、この世のモノはどんなものでも揚げれば食えるしその鮮度を保つ事が出来るのですが、彼の弁当は冬でも夏でも関係なく細菌をグングン繁殖させ「食うんじゃねえぞ」といった匂いを振りまきまくっていたんですわ。


なんで腐っているのかについてはあまり聞くのも忍びなかったので聞かなかった記憶がありますが、日野君はそんな弁当に文句をつけながらも箸を止めず、今度は胃腸方面を全面的に鍛えていっているようでした。アッパレ柔道ニッポン!


その後日野君は大学受験という荒波にもまれ、ニヒルな笑顔を携えつつ北北東に進路をとったらしいのですが、その消息を知るものは誰もいませんでした。


彼が現在得意の大内刈りを正しい事に使用している事を願ってやみません。


またこれは今でも交流のある奴なのですが、何というかクラスに一人はこう、人生について全てを悲観している奴ってのがいるでしょう?

刈谷君はそんな一人で、基本的に何をやってもダメ、そのくせ無駄に先生に反抗はするわいっぱしに人を見下すわ、ガチでバスケ部の運動神経モリモリマンに喧嘩を売ってズタボロにされるわで、イヤハヤどうすんのお前?ってかどうしたいのお前?ってな奴だったんですねえ。


しかし彼のエライ所はどんな誘いも断らず、クダを巻きながらその辺のムラサキ貝を口に放り込んだりして我々を驚かせていた所です。


そんな彼の弁当です。

彼の弁当も基本的に茶色く全く食欲というものを刺激しない弁当だったのですが、一度だけ彼の弁当の蓋からはみ出すまで「ワサビ」が塗りつけられていた事があったんですよ。


とうとう親にまで虐待されだしたかと憐みの目を浮かべていると、そうではないらしくどうやら彼の母親が昨日見たテレビでワサビに防腐作用がある事を知ったらしく、それでは一丁やったるか!っと息子のためを思い、「味覚」や「調和」といった事を一切無視し、冷蔵庫のチューブワサビが火を噴いた!ってな具合だったらしいです。


刈谷君はその後かねてより熱望していた京都大学に落ちてしまったのですが、他の旧帝大に後期で合格するという非常にファンタスティックな受験をして周りから「すげえ!すげえ!」っと言われていたのに彼にはとことん不満らしく、ホンマモンのアルコール中毒になり、とある事から現在裁判沙汰の事件に巻き込まれています。


元からあまり笑わない奴でしたが、正月に会った時彼からついぞ笑顔を見る事はできず何とも哀しい関係になったなと感慨にふけったものです。


それでも最近は元気が出てきたようで、何とか社会復帰に向けて頑張っているので何とか自分も忘れられないよう側にいて、彼とまた笑顔で彼の大好きなワインなんぞをガバガバ空けたいなと思っています。



なんだか弁当でここまで考えるとは思いもよりませんでしたが、弁当は青春なのだなあと意味不明な事を呟きつつ、私は早稲田通りをヨロヨロと意地汚く歩きはじめるのでした。