くまそさんの留学雑記③

・あばら家留学
フィジー学生寮は中々のものだった。まず部屋を案内されたが、三畳ほどの空間にベッドが4つ敷き詰められ、天井に扇風機が1つくっつけられているだけだ。とにかく狭い。しかも狭いだけならまだしも、部屋・廊下・キッチン・シャワー室・トイレに至るまでそこらかしこに得体の知れない虫が這いずり回り、巨大なウシガエルは我が物顔で部屋に飛び込んでくる。夜ともなればヤモリは泣き叫び、蚊は這いずり回り、ゴキブリはメイアイカムインを言わずに部屋に押し入ってくる。もし生ものでも部屋に放置しようものなら、アリだらけのベッドで寝る羽目になる。さすが光熱費込みで一泊250円。よく分からないけど、マリーアントアネットを住まわせてみたくなる。「アリが来るならアリクイを飼えばいいじゃない?」っとか言うのであろうか?それはそれで、可愛らしくていいと思う。

しかし心配はいらない。男というのはどういう環境でも基本的に生きていくことが出来る。内臓にまで塗りたくる勢いでミューズを使う潔癖症の男も、毎日こういう環境でムサイ男児達とムサイ生活をしていると、平気で誰が使ったかも分からないコップから水を飲み、意気揚々と他人の大便が発射された直後の便器へ駆け込む事が出来るようになるのだ。そして色々あって「お尻に…あんなものが入るんですね」っとニチャ付いた声で言うようになるのだ。

大体冷静に見てみると我が家といい勝負ではないか。大学時代借りていたアパートでは、時と場合と血糖値によってはこれより何倍も酷い状況になることがあった。いつだったか、大学を二回も留年している大馬鹿女が家に上がりこんできた時は酷かった。その日は私と後輩数人・そしてその馬鹿とで我が家にて酒盛りをしていたのだが、酒に酔ったその馬鹿女は「除毛クリームに興味があるの」などと言い出し、近くのドンキホーテで大量の除毛クリームを購入し、冷酷無比な笑いをぶち撒きながら、同時に我々の恥部に除毛クリームをぶち撒いたのだ。後は阿鼻叫喚の地獄絵図である。過程は省くが、その日私も含め4人のパイパン小僧が誕生し、私の部屋は誰のとも知れない陰毛に塗れる事となった。コーヒーを飲もうとコップを取ったとき、そのコップの中に大量の陰毛が入っていたときの衝撃は今でも忘れない。なんともインモラルな陰毛事件であった。

あれに比べれば、この部屋はホテルオークラのスウィートルームさながらである。大したことはない。少なくとも陰毛は見当たらない。私はその地獄を思い浮かべながら荷物をベッドに投げつけた。

部屋につき荷物を整理していると、何やら廊下で話し声が聞こえてくる。私が寮に通されたときは、寮はひっそりと静まり返り、誰もいなかったのだ。流石に二ヶ月お世話になるのだからここで挨拶をしないのはマズイ。ただでさえホームレスのような身なりをしている私である。心象だけでもよくしておかねばと私は急いで部屋を出た。

寮の共用スペースのような場所では三人の男が談笑しながらタバコを吸っていた。簡単に挨拶し、「ご一緒してしていいですか?」っと彼らの隣に座る。話を聞くと、全員私より年が下である。皆肌が真っ黒に焼けている。大学を休学したりしてこの留学を実現させているようで、皆気分のいい人ばかりであった。

不意に女性の声が外から聞こえる。忘れていたが、この二階は女子寮になっていたのだった。

驚くべきことに、この魑魅魍魎蠢く寮に女性がいるのである。カエルが這いずり回り、油断しているとアリが耳に入って不快極まりない音を立てるこの寮に、女性も住んでいるのである。一階は男子寮、二階は女子寮。つまり私がヤモリを蹴飛ばしている真上では、同じくヤモリだらけの部屋に女性がきちんと生活を送っているのだ。お風呂に入らないと皮脂で髪がキマっていいね、などと戦中派さながらの意見を申す私でさえ「汚い」と思える空間を共有しているのだ。

それに気づいた時、何だか私は無性に嬉しくなってしまった。いいじゃないかフィジーと思った。そしてその後は共用の物干し竿に下着がかけられていないだろうかと注意してみるようになった。いつぞやは夜寝る際に、すぐ上の部屋から女性が寝返りを打つ音が聞こえるのだ!っということに気づいて、だからどうなるものでもないのだが、寝返りの音を聞くと動悸が激しくなった。要するにこんな汚い部屋に女性が住んでいて、それが私と同じような生活を強いられているのだ!っということ自体と、そしてその生活の残骸に激しい情欲をたぎらせたのである。

フィジー最初の夜はビックリするくらい心地良く、寮内の人に挨拶を済ませると、私はそのままベットで寝入ってしまった。その次の日には、クラス分けテストが行われ、初めての授業を受けることになる。深夜にもかかわらず、近くの小学校からは大人が歌う声が聞こえた。